おはようございます。営業のMasakiです
今年は開花が順調に進みすぎてビックリです。
今日は地元のシルバーさんが除草作業のお手伝いにいらっしゃってくれています
猫の手も借りたいほど忙しい時期なので大感謝です
今日、ピックアップしておこうと思ったバラは当園の名前のつく「ジャルダン・ドゥ・バガテル」
まだつぼみでした
フランス語でジャルダンとは庭のこと。バガテルは小さい、こじんまり、愛らしいという意味があります。
つまり、小さくて愛らしい箱庭ということなのでしょうか。
ただ本家の「バガテル公園」の広さはかなりの広さがあり、24ヘクタールもあります。
その一部「ロズレ・ド・バガテル」を河津町に再現しています。
世界で唯一の姉妹園となっています。
さて歴史の話は後ほど。
今日の園内の様子ですが、かなり開花してきていました。
例年より1週間から10日ほど早い開花です。
~バガテル公園の歴史に触れる~
発祥は1716年頃のセーヌ川ほとりの小さな建物と言われていて、貴族の邸宅として利用され当時の王侯貴族の社交場として知られるようになりました。
フランス革命の直前、ルイ16世の弟であるアルトワ伯爵がその所有者となって大規模な改修を行いました。
またアルトワ伯爵の義理の姉、マリー・アントワネットの賭けの対象となったというエピソードもあります。
実はナポレオンとジョセフィーヌが運命的な出会いをしたのもバガテルです。
1775年、荒れ果てたバガテル城を尻目にマリーアントワネットがアルトワ伯爵にいいます。
「2ヶ月後にここバガテルで私のためにパーティーを開いてちょうだい。でもそれまでに改装するなんて到底無理に決まってるわ。10万リーブル賭けたってよくってよ」と挑戦状を叩きつけました。かなりの高飛車ですw
掛けにのったアルトワ伯爵は「なめんなよ、やってやろうじゃねーか」と言ったかは知りませんが(笑)10万フランの費用をつぎ込んで見事に賭けに勝利したそうです。
そしてアルトワ伯爵は当時大人気だった英国庭園を城の周りに作ろうと目論み領地を14ヘクタール拡張して秩序と厳格を重んじるフランス庭園とは全く異なったスタイルの庭園に仕上げました。
皆その美しさを絶賛したそうですが、1,784年フランス革命が勃発し、革命期、起業家に売却され、バガテル城はレストランに改装し、舞踏会やコンサートが行われる一躍流行の発信基地となったそうです。
その後、イギリス人に売却されたり色々あったバガテルですが、1905年にパリ市が買い取って再建し、1907年に乗馬場だった土地にローズガーデンをオープンさせました。
楕円を描いている外周は乗馬場の名残ですね。